5分で分かる。ボブマーリーの生涯
投稿 : 2015/07/16 | 更新 : 2015/09/30
元々、R&BやHIPHOPが好きだった僕がレゲエを好きになった切っ掛けは「ジャパレゲ」でした。
それからずーっと僕は、「ジャパレゲ」しか聞かない「レゲエ好き」でした。
でも、「レゲエ好き」と言うと、必ずついて回る「ボブマーリー」の名前。
レゲエ好きじゃなくても知っている、「レゲエの神様」の名前は正直僕を悩ませました。
何故って、「レゲエ好きなくせに、ボブマーリーの事を知らない」=「偽物のレゲエ好き」ってことになるんじゃないかと。
(事実、なんで知らないの?とか言われたこともある。)
こんな僕みたいな人に贈る「ボブマーリーを知る旅」をシリーズでお届けします。
5分で分かる。ボブマーリーの生涯。
1945年から1981年という、わずか36年の短い生涯を終えているボブマーリー。
まずは、今もなお、伝説と呼ばれ続ける彼の経歴年表形式でまとめてみました。
ボブマーリー年表
1945年 | 誕生 | 本名:Robert Nesta Marley(ロバート・ネスタ・マーリー) ジャマイカ・セント・アン地区で誕生。 61歳の資産家の父と18歳の母の間に生まれる。 両親はすぐに別れ、母とその家族と育つ。 |
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1959年 | 14歳 | 音楽活動に専念するため学校を中退。 |
1962年 | 17歳 | 当時本職だった溶接工を辞め、レゲエバンド「The Wailing Wailers」を結成。歌を書き始める。 同時期、母とその家族がキングストンからアメリカ・デラウェアへ移住。 |
1964年 | 19歳 | 「The Wailing Wailers」がジャマイカシングルチャートのトップに立ち8万部以上の売り上げを記録。 |
1966年 | 21歳 | リタ・アンダーソン(19歳)とジャマイカで結婚。新たな音楽の仕事を求めアメリカ・デラウェア移住するものの、デラウェアからベトナムへの徴兵を受けることになる。やむなく音楽活動を続けるため、ジャマイカへ帰国。 当時、ボブマーリーはラスタファリアンの聖地エチオピアの皇帝陛下が「自分とその息子が欲しい」と言う夢を見ます。 そして自分が「child of Rastafari(ラスタファリの息子)」だと理解する。 |
1967年 | 22歳 | ラスタファリ信仰になる。長女(Cedella)誕生 |
1968年 | 23歳 | 長男(David)誕生 |
1970年 | 25歳 | タフ・ゴングレコード設立。 「The Wailing Wailers」のアルバムがカリブ海で成功を収める。 |
1972年 | 27歳 | アイランドレコードと契約し、「The Wailing Wailers」は世界へ。 二男(Stephen)誕生 さらに二人の男の子を養子に迎える(RohanとRobert) |
1974年 | 29歳 | 「The Wailing Wailers」のメンバーが変わる。 「Natty Dread」リリース。エリッククラプトンバージョンがビルボードのトップに。世界に「レゲエ」音楽を知らせる足がかりとなる。 |
1975年 | 30歳 | ジャクソン5やスティービーワンダーと共にライブを行う。 三男(Julian)誕生 |
1976年 | 31歳 | 「Rastaman Vibration」がビルボードアルバムのアメリカで8位、イギリスで15位になる。 12月3日、ボブマーリー暗殺未遂が起こる。翌日、ジャマイカでコンサートをするもその後、自発的に亡命。 四男(kymani)誕生。 |
1977年 | 32歳 | ジャマイカの平和活動を呼びかける為にロンドンへ。 「ONE LOVE」コンサートを提案。この年、サッカー中につま先に2度目の怪我を負っている。マイアミの病院でセカンドオピニオンを受けている。 |
1978年 | 33歳 | ジャマイカ、キングストンで「ONE LOVE」コンサート開催。 国連はボブマーリーに「第三世界平和勲章」を与える。 五男(Damian)誕生。 この年、ボブマーリーはラスタファリの聖地エチオピアへ巡礼に行っている。 |
1979年 | 34歳 | 「The Wailing Wailers」は7週間に及ぶ日本、オーストラリア、ニュージーランドなどを回る世界ツアーを開始。 |
1980年 | 35歳 | 「The Wailing Wailers」のミラノでのコンサートに10万人のファンが集める。 ジンバブエの独立記念日の祝賀に誘われ、自らの資金を費やす。 世界的ヒットとなる「Uprising」をリリース。 セントラルパークでジョギング中、ボブマーリーは倒れる。脳腫瘍と診断される。 コンサートは延期。 体調不良の中エチオピアの 正統的な伝統 において洗礼を受ける。 「Berhane Selassie(三位一体の光)」の名前を与えられる。 ペンシルバニアで最後のコンサートを行う。 癌治療のためドイツへ。 |
1981年 | 36歳 | 誕生日を家族と共にドイツで祝う。 ジャマイカで3番目に高い名誉「O.M」を与えられ彼の名前の肩書きが「Robert Nesta Marley O.M」となる。 ドイツの病院からマイアミの病院へ転院。 家族が見守る中、生涯を終える。 ボブマーリーの葬儀はジャマイカ・キングストンの国立アリーナで開催された。 |
1982年 | 没年後 | ボブマーリーのアルバムが発売され、伝説的なヒットアルバムとなる。 それは現在も続いており、ビルボード・チャート・リストには今も居座り続けているという。 |
via:http://www.bobmarley.com/
たった36年で様々な人に影響を与えてきたボブマーリー。
何となく全貌をつかめたでしょうか?
次回はボブマーリーの名曲に迫りたいと思います。