ボブマーリー死因の真実に迫る!!
ボブマーリーシリーズ第4弾「ボブマーリーの死因」についてシェアしたいと思います。
ボブマーリーの死因には、まことしやかな二つの都市伝説があります。
一つ目は、
暗殺
確かに、1976年12月3日、ボブマーリーが31歳の時、暗殺未遂事件が起こっています。
その日、ジャマイカ・キングストンの「56 Hope Road」でコンサートのリハーサル中にボブマーリーに弾丸が撃ち込まれました。
しかし、幸い致命傷とはならず、彼の胸をかすり左腕を負傷するまでにどどまりました。
(妻リタとマネージャーも銃創を追う)
襲撃者は特定されないままに、2日後のコンサートの舞台上にボブマーリーとその妻リタは立ちました。
そのあたりもボブマーリーが伝説と言われる一つの理由だと僕は考えます。
しかし、この事件でボブは死んではいないため、この噂は噂でしかなかったようです。
そして、二つ目は、
サッカー中の怪我が原因で皮膚がんを発症
1975年、30歳の時にトレンチタウンでサッカーをしている最中につま先に怪我を負ったボブマーリー。
その後1977年、32歳の時にパリで、やはりサッカー中に2度目の怪我を負っています。
その傷は、一度は治ったものの、マイアミでセカンドオピニオンを受けています。
ボブマーリー公式サイトでは、「サッカーで怪我した事実」には触れているものの、「皮膚癌」だったとは公表はされていません。
最終的にボブマーリーの直接の死因結論
当時、新聞、雑誌で発表された死因は「脳腫瘍」。
事実、ボブは1980年、35歳の時にセントラルパークジョギング中に脳腫瘍で倒れています。
そして、1981年36歳の時、家族に看取られながらマイアミの病院で息を引き取ることになりました。
脳腫瘍が発覚した後、ボブマーリーは助かる見込みがあったにも関わらず、その手術を拒んだという経緯があると言います。
何故か・・・・・。
ここで登場するのが「ラスタファリズム」
脳腫瘍の手術をするにあたり、当然頭を切る必要がありました。
しかし、それには「髪を切らなくてはならない」という課題があり、その行為がラスタファリズムの戒律に反していたため、ボブはその手術を頑なに拒んだと言います。
結局、ボブがなくなってしまった直接の理由は「脳腫瘍」ということに当サイトでは結論づけました。
もし、この時ボブが手術を受けていたら、もしかしたら今も生きる伝説として生きていたのかもしれない。
でも、最後まで頑なに守り続けた信念があったからこそ、ボブは「レゲエの神様」と言われるほどの伝説になったのかもしれない。
日本人の僕にとって、ラスタファリや神への信仰を完璧に理解することは難しいです。
というわけで、本日はここまで。
ボブマーリーシリーズはもうちょっと続きます。
次回は「ボブマーリーの息子」というか、大家族に迫ってみたいと思います。